群衆心理④ル・ボン

お勉強ノート 100分de名著
この記事は約7分で読めます。

第四回 群集心理の暴走は止められるか

Eテレ_100分de名著  2021年9月29日放送分
講師 武田砂鉄

NHKオンデマンド


私たちが群衆化しないための考え方
群衆の暴走を止める為に必要なこと

指導者は暴走しないでいられるか?

数値が可視化され、社会的な問題を解決する。

群衆の徳性について

ル・ボンは、群衆はメディアや政治指導者に正しく操られると分析した。
一方でル・ボンは、群衆のそのエネルギーは良い方向へ発揮されるケースもあるという。

低級な本能に しばしば身を任せる群衆は、
ときには、高尚な道徳行為の 模範を示すこともある。

無私無欲、諦め、架空のまたは
現実的な理想への 絶対的な献身などが、
道徳上の美点であるならば、 

群衆は、最も聡明な哲人でも 
めったに到達できなかった程度に、
これらの美徳を 往々所有するものであるといえる。

公共施設のトイレにいくと、
「いつも綺麗に使っていただいてありがとうございます」と書かれている。
多くの人が綺麗に使っているのだという情報を与えてやると、それにもまた従ってしまう。
多くの人が良きことをしている状況であれば、多くの人はその状態を維持しようと努める。

行動経済学の「ナッジ」かな?
ん?つまり、操る人の道徳次第ということか・・・

群衆の特性が発揮され難い状況とは?

群衆は事情次第で、
単独の個人よりも優ることも、また劣ることもある。
すべては、群衆に対する 暗示の仕方如何にかかっている。

特性が発揮されない状況とは?
⇒ 権力者が個人を監視・管理すると、特性が発揮されにくい。
道徳は自発的にやっている感があると、やりがいになる。

しかし、どこの国であろうが、往々にして官僚(操る側)というものは糞でアイヒマン裁判の様な事になる。
それに対して、弱者である群衆が生き延びる自衛手段を真っ当に考えるならば、
それは土着社会主義、「弱者同士の連携=ボランティア」 に繋がる。
つまり、家族、親戚や地域コミュニティの積極参加は生活防衛という相互安全保障になっている。
それとて家族・親戚の中にクソ(官僚)が1人でも存在していると、壊滅状態になるというなw

徳(ボランティア)は、自己満足を満たすが、大抵の場合持ち出し、損する事が多い。
徳を積めば積むほど、ジリ貧に陥る。電車で人に席を譲っても自分が疲れるだけなのと同じ… …。

強者は自力救済で生きられる為、他人を全く当てにしていない。強者ほど徳とは程遠い所に生きている。
他人の道徳にすがらざるを得ない弱者ほど、見返りのあろうはずも無い徳(保険)を積みたがる。

フランス革命がなぜ起こったのか?
⇒ 組織する者(ロベスピエール)がいたから。群衆は誰かに扇動されなければ自ら蜂起することは100%ない。
アメリカのCIAが調査報告によると、北朝鮮の最下層民に割り与えられた一日の食料は500kcalだったという。
一日の食事がメロンパン一個だけ・・・。それでも今に至るまで革命は一度も起こっていない。
パルチザンを組織できる者はインテリゲンチャに限られるし、そもそもそんな組織できるだけの能力があったら弱者の側ですらない。人生をもっと楽に生きる方法が幾らでもあるワケであって、リソースの無駄遣い。

指導者の持つ威厳について

群衆の心を動かすのは指導者の持つ威厳が大きく影響しているとル・ボンは指摘している。
威厳には、先天的な人格的威厳と、後天的な人為的威厳の二つがあり、後天的な人為的威厳には、家名、肩書き、資産、評判、芸術作品などが含まれ、それらは容易く群衆の心を動かす事が出来る。

後天的、つまり人為的威厳のほうが、はるかに広く存在している。
ある人間が、相当の地位を占めるとか、
相当の資産を所有するとか、
相当の肩書きをおびるとかいう 事実だけで、

たとえその人格的価値は 皆無であっても、
威厳の後光に飾られる。

法服やカツラがなければ、
裁判官たちは、威信の大半を失うにちがいない。
最も凶暴な社会主義者も、王侯の姿を見れば、感動させられる。

そして、王侯という肩書きが ありさえすれば、
商人から、何でも望み次第のものを 騙りとることができるのだ。

現代に当てはめると、巷で言われている「上級国民」みたいなものかしら?

一方、先天的な人格的威厳についてル・ボンはこう記している。

これを具えている少数の人は、その同輩をも含む周囲の人々に、
真に磁力のような魅力を及ぼし(中略)
仏陀、イエス、マホメット、ジャンヌ・ダルク、ナポレオンのような、人間の偉大な指導者たちは、
この型の威厳を高度に備えていた。

今私があげた人物たちは、
世に表れる前、すでにこの魅力を具えていたし、
もしこの魅力を 具えていなかったならば、
世に現れていなかっただろう。


指導的な立場にない人が絶大な影響力をもつ

なんか、fate/FGOの反英雄サーヴァントばっかりです…

「群衆心理」の弱点は「個々の揺らぎ」が書かれていない。

元来、カリスマは切り立ったエッジを歩くような存在で、右に足を滑らして大崩落を引き起こすか、左に足を滑らして大崩落を引き起こすか、どちらに倒れても大惨事を引き起こす危うい存在をいう。

ジャンヌとジャンヌ・オルタは紙一重なのね。

群衆化をいかにして防ぐ事が出来るか?

一国の青年に さずけられる教育を見れば、
その国の命運を 幾分でも予想することができる。

現代の教育法は、
最も暗澹※1とした予想を 裏書きしている。(中略)
それは、教科書の暗唱が 知力を発達させると
信じ込んでいることである。


ル・ボンが批判している現代の教育法とは、当時のフランスで行われていた知識詰込み型の教育だった。

判断力、経験、創意、気概などが、
人生における成功の条件であって、
教科書のなかで、それらを学ぶのではない。

教科書とは、辞書のようなものであって、
参考の資料とすれば役に立つが、
その冗長な断片知識を あたまにつめこむのは、
全く無用のことである。

鶏が先か卵が先か、難しい問題ッス・・・。ある程度ベースとなる知識を詰め込まないと、考える素地が生まれない。
グラン・ゼコールとか超スペシャルな学校でもない限り、そもそもギムナジウムの教職員ですら日々淡々と歯車のように教職務をこなし、年に一度生徒を出荷するだけの群衆の一人なワケだし・・・。

民族の窮極の教育者である 経験のみが、
われわれの誤りを 示してくれるであろう。

ただ経験のみが、いまわしい教科書や
憐れむべき競争試験のかわりに、
職業教育をもってする 必要を立証してくれよう。

この職業教育が、今日見捨てられている
田畑や工場や植民地の事業へ、
青年を立ちもどらせることが できるのである。


ル・ボンにとって目指すべき教育とは

学校で教科書を暗記するものではなく、実生活と直結する仕事の現場で行われるマイスター制度(親方徒弟制度)が望ましいという。

ル・ボンの面倒臭さは自分で考える力を鍛えてくれる

※1【暗澹】あんたん《ト,タル》
    1.見通しが立たず、希望が持てないさま。
    「前途が―としている」
    2.暗くてものすごいさま。
    「―たる雲行き」

思うに、ギュスターヴ・ル・ボン氏
彼自身、先天的な人格的威厳を持つ☆5SSRサーヴァントのような気がしてきました。