群衆心理③ル・ボン

お勉強ノート 100分de名著
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第三回 操られる群衆心理

Eテレ_100分de名著  2021年9月22日放送分
講師 武田砂鉄

NHKオンデマンド


群衆を操る術とはどのようなものか?

指導者たちは、
主として、次の三つの手段にたよる。

すなわち、
断言反覆感染である。


政治指導者はメディアが用いる手口とは?

演説のテクニック

国外ではすべての暴君が 諸君をとり囲み、
国内ではあらゆる暴政の友が 陰謀を画策している。

このような状況のもとでは、
諸君の政治の第一の格率は、人民が理性によって、
人民の敵が恐怖によって導かれる
ということでなければならない。


敵(政敵)と味方(政友)を明確にして
断言してしまう事が肝要である。

「自由に生きるか、さもなくば死を」

ロベスピエールは二項対立で政敵の処刑を実行して行った。

およそ推論や論証をまぬかれた
無条件的な断言こそ、
群衆の精神にある思想を沁みこませる
確実な手段となる。

断言は、証拠や論証を伴わない、
完結なものであればあるほど、
ますます威力を持つ。

何らかの政治上の立場を 擁護すべく求められる政治家とか、
広告で製品を宣伝する産業家は、
断言の価値を心得ているのだ。


群衆は熱しやすく、忘れやすい。

目まぐるしく移り変わる現在をいちいち覚えていない。情報の氾濫。

例)小池都知事マニュフェスト

  • 築地は守る
    築地は閉鎖、豊洲へ移動
  • 7つのゼロ
    全て未達成

「政治とは」恰も感、ビジョンを見せることだからなァ…Σ(TДT)o

群衆はそこに問題があることは理解しており、しかる故キッパリ断言して改革してくれる政治を期待している。

しかし、現実はステークホルダーの激しい抵抗に遭い公約は実行は成されないし、政治と経済は両輪の関係にあって、その実、ステークホルダーが政治を仕切っている ――― のだとか、妄想してみたり

断言・反覆・感染

ある理念を大衆に伝達する 能力を示す扇動者は、
しかも彼が単なる デマゴーグにすぎないとしても、
つねに心理研究家であらねばならない。

そうすればかれは、人間にうとい、
世間から遠ざかっている理論家よりも、
つねに指導者に とっもよく適するであろう。

大衆の受容能力は 常に限られており、
理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。

この事実からすべての効果的な宣伝は、
重点をうんと制限して、
そしてこれを スローガンのように利用し、

そのことばによって、目的としたものが
最後の一人にまで 思いうかべることができるように
継続的に行われなければならない。

via:我が闘争 アドルフ・ヒトラーより


ヒットラーが重視していたことは誰でも分かるように断言を反覆することだった。

ル・ボンによれば、群衆は断言を反覆されるとどんな内容であっても疑いを持たなくなってしまうという。
そればかりでなく、そうして高められた指導者への信仰は高められ、人から人へと感染していく。

現代の政治家がよく用いる例

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ある断言が、十分に反覆されて、
その反覆によって 全体の意見が一致した時には、
いわゆる意見の趨勢なるものが 形づくられて、
強力な感染作用が、そのあいだに働くのである。

群衆の思想、感情、感動、信念などは、
細菌のそれにもひとしい 激烈な感染力を具えている。


断言・反覆・感染

現代の政治家がよく用いる例

  • 以前も申し上げました通り
  • この件については議論が尽くされた
  • 繰り返しになりますが…

意見や信念が伝播するのは、感染の作用によるのであって、
推理の作用によることはあまりない。
現在、労働者たちの抱く考えは、酒場で、
断言、反覆、感染の結果、形づくられるのである。


現代社会は酒場に代わりSNSが媒介のハブになっている。

twitterのフォロワー数が多いと、
天からお声がかかるとかウワサが…

群衆心理と現代メディア

極めて不十分ながら、定期刊行物が、
指導者のかわりをすることもある。

定期刊行物というものは、
読者たちに意見をつくってやり、
彼等に出来合いの文句をつぎこんで、
自ら熟慮反省する労を はぶいてしまうのである。


ジャンポール・マラーロベスピエールと並ぶ指導者の一人で「人民の友」という定期刊行物を発行して、特権階級やその支持者を痛烈に批判して群衆の怒りを増幅させるなど、フランス革命成功の立役者でもあった。

一方、フランス革命に果たした新聞・雑誌・メディアの功罪についてル・ボンは、群衆を操っていたはずの定期刊行物が逆に群衆の感情におもねるようにもなっていると指摘している。

思うにこういったモノはコツとしては風見鶏どりのように群衆の感情になびく方がリスクを被りにくく(逆なでしにくい)、それでいて恰もテッペンを張っているガチ武闘派のように見えるものだ。
手綱は握っていても、馬の走りたい方向に走らせてやるのがよろし。これぞ大衆迎合の極意(σ゚д゚)σゲッツ!!
だって、ずっと操縦していたら疲れるし …。やらないと、群衆の怒りの矛先がこっちにきちゃうし … …。

以前には世論を誘導した 新聞雑誌はどうかといえば、
これも、政府と同じく、
群衆の力の前には 譲歩せねばならなかった。

もちろん、その勢力は絶大である、
しかし、それというのも、新聞雑誌が、
民衆の意見と意見の不断の変化とを
もっぱら反映しているからにすぎない。

新聞雑誌は、単なる報道機関に化して、
どんな思想もどんな主義も 強制しなくなり、
ただ世論のあらゆる変化に追随する。


現代のニュースメディアでは「街のインタビュー」や「twitter」をテロップに流すなどして作為的に世の中のスタンダードを演出している。

逆にマニュフェストを公開しない政党は、何も変えるつもりが無いのではないかしら?

だって公約実現してステークホルダーにご迷惑おかけしなくて良いし、
例えば「NHK解体します」みたいなシングルイシューにしておけば、風見鶏のように群衆におもねり易い。