エンドレスエイトⅤ 2021/09/13
上野公園、ここはかつてイランの王国が築かれており、大勢のイラン人が住んでいた。その王国の収入源はもっぱらテレホンカードの製造と販売が大きな割合を占めおり、かく言う私もテレカを求めて足繁くここに足を運んだ。
(いつの時代の話しをしてるんや?)
俺たちにはテレホンカードがある!
そう、これはまだ携帯電話が無くても人々は強く生きられた時代の話である
(嘘こけ!)
今は、イラン人は一人もいない模様
彼らの多くは建築現場で働き、あれはイラン・イラク戦争終戦後の復興資金・外貨獲得の為の雇用の受け皿になっていたのではないかしら
ここで彼らの作る怪しげなドリンクやホットサンドを買って食ったりしたw
イランの料理はレパートリーが少なく
飛びぬけて美味いほどもない …
懐かしいなァ …
あれはもう30年も前の出来事か
時が過ぎるのは、かくも残酷に早い
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず池塘 春草の夢
階前の梧葉 已に秋声
朱 熹
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そう言えば、小学2年生の頃
剣道の道場に通っていて
稽古の始めと後に必ず詩吟した
まぁ問題あるほど厳しい親だった
小学1年生の二学期の終わりの頃
父の仕事の転勤で宮城県に
引っ越す事になった
杜の都 仙台 …
当時の東北地方は今よりも寒く
毎日のように雪が降り
冬の間その雪が解ける事はなかった
母は長ズボンを履くことは許さず
服も薄着にさせた …
毎晩、200円持って自動販売機に
父のセブンスターを買いに行かされた
当然投入口に手が届かない …
大人が通りかかるのをジッと待つ
雪が太ももに刺さり痛かった記憶
が残っている
新しい小学校での担任の先生は
シワシワのおばあちゃん先生だった
きよ先生 …。
さすがにもう亡くなられているよなァ
ぼくは問題ある児童だったから
席替えと云う物はなく、必ず最前列左
きよ先生の机のまん前が定位置だった
クラス替えも無かった
1年生から3年生までVIP席待遇だった
ふむぅ …
coffee break
おぉ!試飲コーナーがある!
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もちろん全種類飲みます!
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きよ先生はいつも灯台の話をしていた
脳裏には、海に面した崖の上に
ひっそりとそびえたつ白い塔
暗い夜の中、その一番上でクルクルと光るものが回る。何かそんな
物寂しいイメージが頭に思い浮かぶ
言葉で満足な説明は出来ないけど、
イメージは頭に浮かぶ
先生!灯台を見たことがあります!
灯台というのは… 灯台は灯台でも
そこにある灯台ではなくて
ここより南のtokyoにあるのだという
ぼくはtokyoから引っ越してきたけど
tokyoでは灯台を見た事がなかった…
灯台の中に入るためにテストがあり、
みな灯台の中に入りたくて殺伐とした競争が繰り広げられているのだという
何で、あんな人気も無く暗くて寂しくて怖い場所に入りたい人がいるの?
きよ先生の話を聞く度、頭の中の灯台のイメージと合致せず混乱していた
灯台の中は秘密要塞基地みたいな作りになっていて、何か分からないけど
そこには重大な秘密が隠されている
その秘密を知りたくて、みなこぞって中に入りたがっているの???
仮面ライダーは怖くて見れなかった…
ショッカーは人を攫うから大嫌いだ
きよ先生は飽きるほど繰り返し灯台の話しをぼくにしてくれた。
小学3年生の三学期の終わりに
今度は九州に転校する事になった
終業式の日、親が学校に挨拶に来てた
きよ先生は校庭に母の存在を視認するや否や、もの凄い速さで走ってきて
着物のまま手を地面について、顔をくちゃくちゃにし大粒の涙を流して …
この子を直せなくて申し訳ございませんでした … と、
嗚咽の声で喉を震わせ大泣きした …
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俺にはレーゾンデートルが無い
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